辿り着いた先で自転車を適当なところに止めた俺は、辺りを見回して小さく唸った。微妙に寒い。あー風邪引いたら面倒だな、と思いつつ袖を伸ばし、首元に手を当てる。冷えた首がじんわり温まった。
公園に据え置かれている時計の短針はまだ一にも到達していない。しまった早く来すぎた。やることが無いのでとりあえずベンチに向かって歩き、腰を下ろす。なるほどこの位置からだと、依頼人の家との距離が短く、ブランコがこく音なんてモロに聞こえてしまうだろう。
ためしに近寄って、ブランコの鎖の部分を引いてみた。そんで、押してみた。音はしない。やはりここは重力やその他諸々の関係が、と思いつつそこに腰をかけ、軽くこいでみた。依頼人の言うことによると、そのブランコを使用した人間に害が出るわけではないようだ。思念が残ってるつったって、ほとんど残りかすみたいなもんだしな。
ブランコはきいきいと小さく音を立てた。すぐに離れ、依頼人の家に向かって軽く頭を下げておく。軽く風が吹いたくらいじゃ絶対に鳴るはずのないブランコの音。二時ぴったりに鳴る音。思念の残滓。うーんそこまで危険そうには思えないんだがなあ。とりあえずまたベンチに戻って、二時になるまで待つことにした。
それにしても先ほどかかってきた電話、あれは本当にブランコに出現する幽霊だろうか?電話をかけてくるなんて普通の霊力じゃできるはずがない。そんな執念を残した幽霊なら、二時過ぎに出没なんて面倒なことはせずずっとそこに居るはずだ。それに、ブランコに座ったら呪いくらい簡単にかけてきそうだし。携帯を取り出して触れてみるが、悪意しか感じられない。やっぱりブランコの幽霊とは別物か?
ピリリリ、と音がして、ビクンと肩が跳ねた。
二度目かよしつこい奴だな、と思いつつ、画面を見ないで携帯を耳に押し付けた。耳に入り込んでくると思っていたノイズはなく、代わりに痛いくらいの沈黙が入り込んでくる。
「……もしもし?」
『………』
まさかこんな時間に悪戯電話か、あるいはまた別の幽霊か。ああもうなんでもいいけど面倒なことだけは勘弁してくれよ。しかし一向に会話は始まらない。これはこれで面倒だなと思いつつ耳を通話口から離しかけた、その時。
『…も、もしもし』
「………古泉?」
俺は顔を上げて時計を見た。一時ちょっと過ぎ。おい、人んちに連絡するには随分と遅い時刻じゃないのか。そう思っていると、コホンと咳払いひとつの後に夜分遅くにすみませんとズレたタイミングで古泉が言う。
「…突然どうした。なんでこんな時間に」
『あ、す、すみません。話しかけるタイミングを計りかねていまして』
「今かけてくるのは間違いだと思うんだが」
『そ、そうなんですが……あなた、最近忙しそうですし』
だからって何でこんな時間に。
『長門さんに相談したところ、今日のこの時間帯であればあなたが出るだろうとのことでしたので……』
俺は瞬時に長門の顔を思い浮かべた。あいつのことだから俺が依頼を受けたことも依頼の内容もブランコの件も何もかも知っているんだろうが、情報漏えいはよくないな。うん、よくない。後でしっかり言っておかねば。
ていうか古泉、長門に相談するのはやめろ。
『すみません、けれど先日あなたと長門さん、随分と親しげでしたし…』
「まあ色々と事情があってな」
今は根掘り葉掘り聞かれるのが面倒(いつだって面倒だが)だし、そんな悠長に会話をしている場合でもない。で、何の用なんだと急かすと、古泉は慌てたように声を上げた。
『す、すみません』
「謝罪はいいからさっさとしてくれ」
『あ、はい。実は昨日いただいた札なんですが、いただいて早速、眠れたんですよ。体が軽くなったと言いますか……』
「あーそうか。そりゃよかったな」
当たり前だ。なんてったって強制排除の札だぞ。あれ作り直さなきゃもう余分がない。価値高いのになあ、と思っていると、まだつらつらとお礼を続ける古泉の声に一瞬ノイズが走った。
「………?」
『……それで、何故でしょうね、僕、そう……はあんまり信じてなかっ……、ですけど……』
途切れがちな音。聞き覚えのあるノイズ。
一瞬にして俺の背中に緊張が走る。
「おい、古泉」
『はい?』
「いま、その札ちゃんと持ってるか」
俺の問いかけに古泉は数秒の沈黙の後、カサカサと紙のような音を通話口に向けて鳴らせると、
『持ってますよ。なんだかこれが……と落ち着かなくて。さすがに風呂……には持って行けれ……せんが……』
「文字は薄れているか」
『ええ、かなり…。もらったのはつい昨日なのに、もう文字が……とんど………えないくら…で………』
やばい。やばい。強制排除の札の効力をそこまで磨耗させるほど強力だとは思ってなかった。どんだけだよそいつ、強すぎだろ。ザアザアとノイズがやかましい。もうほとんど、古泉の声も聞こえない。
「古泉!」
『………し…………』
ゾワゾワと鳥肌が立つ。なんだこの気持ち悪い感覚。
電話口から古泉の声にまぎれて何かが聞こえる。ノイズだけじゃない。かすかすと、残り半分くらいになったティッシュの箱を振っているような音。すまん俺例え悪いな。しかし本当にそんな音が、
『………ふ、………』
「……?」
『…ふ………、ふ、………ふふ』
「……!」
笑い声、が。
かすかすする音は呼吸のつなぎ目みたいな感じだろうか。人の笑い声だ。女。くすくすとかすれた笑い声の後、含みを持たせた笑いを上げる。ふふふとかそんなん。一瞬にしてその女が誰だかわかった。こいずみの。こいずみに、憑いていた。
『……邪魔、しないで………ぇ……?』
「……」
疑問系なのに人を嘲笑うような響き。かなり好戦的になっている。携帯を持つ手がかすかに痺れた。直接何か念波でも送ってきているのだろう。
問題はこの女がどこにいるかということだ。生霊で、かつ無意識的に古泉に呪詛をかけたんじゃないのかと考えていたがもしかするとかなり意図的かもしれない。相当なやり手かもしれない。話がどんどん面倒なほうに転がっていく。
「……失せろ」
数秒思案したのち、俺はぼそりと呟いた。明確な敵意をもってして。バチンと音が聞こえたのは恐らく、俺の念と向こうの念がぶつかりあった音だろう。今日の依頼を乗り越えるために力は温存しておきたい。一応戦うつもりではあるぞ、というところだけアピールしてみたが、どうだろう。
『………は、もしもし?』
突然古泉の声に切り替わって、張り詰めていた緊張が解けた。お前な。人がお前のためにどうしてやるべきか考えているというのに。
『何か仰いました?』
「あー、なんでもない。電波障害きてるみたいだ。で、用事はそんくらいか?」
時計を見上げるともう二時前だった。時間って経つの早いな。いや早すぎるだろ!と思うが、人生そんなもんだ。古泉はええ、とつまり気味に返答したかと思うと、申し訳無さそうに続けた。
『とりあえず、お礼が言いたかったんです。こんな遅くにすみません』
「いや、いいさ。俺も起きてたことだし。お前も、寝れるってんならさっさと寝とけよ。また何かあったら連絡すりゃいいから」
『はい……、ありがとうございます』
すっかりしょぼくれた声をして、古泉が数秒の後電話を切った。ちゃんと切れたことを確認して、ポケットに携帯を突っ込む。対応ができるようにブランコのすぐ近くに荷物を置いて、塩を体にふりかけて、ついでに札も二・三枚出しておく。ついでに指先に清水をかけて、額に文字を書いておいた。梵字みたいなじーさんのパクリ文字な。
「……!」
時計の短針が二時を差す。それと同時に、風もないのにブランコが揺れた。ほんとに時間ぴったりだな。
指についた塩を舐めながら、一歩ブランコに近づく。もしこれで人間を憎んでいるような霊であれば、悪意なり何なりを飛ばしてくるはずだからな。
しかし俺の予想とは逆に、ブランコからは何も発せられなかった。揺れていたと思ったら急にその揺れは止まり、キィ、と悲しそうな音が鳴る。間をおいて浮かび上がったシルエットは、小さな子供の形をしていた。
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