子供の霊というものは強くもあれば弱くもある。成人の霊と変わりなく、この世に残した思いが強ければ、成人を凌駕することすらあるのだ。よってこの目の前にいる霊がどれだけ強いのか、見ただけでぱっと判断することは俺でも難しい。近寄って、相手の反応を窺ってみた。

「…………おい」

『…………』

子供はブランコを支える鎖を掴んだまま、ゆらりとこちらを見た。ショートカットの、古泉の髪の毛をさっぱりさせたような色と形をした頭が揺れる。服はいたって普通の子供服で、どう見ても男の子だった。黒目がちなその瞳は、俺をとらえてすぐに興味なさそうにそらされる。こういう反応は割りと珍しい。大体は、助けてくれと縋ってくるか、体をよこせと飛びつかれるかだからな。
近寄ってもそれほど問題はないだろうと踏んで、ゆっくり近づいた。今放出されている力は微々たるもので、そう強いとも思えない。近寄った瞬間に力を爆発させて襲い掛かってくるケースもありえうるので、俺は懐に手を忍ばせて清水の入った小瓶を掴んだ。
手が届きそうなほど近づいて、ようやく子供は顔を上げる。それでもまた興味無さそうにそらされるかもしれないと、急いで話しかけた。

「こんなところで、何やってるんだ?」

『…………』

子供は話しかけられたことに驚いたらしく、目を軽く見開いた。驚きを表すかのように、体の表面に現れたオーラが揺れる。さっきの「おい」は自分にかけられたものだと気付いていなかったのだろうか。まあいいか。

「………おい、聞こえてるか?」

いつになっても返答がこないため、俺はもう一度問いかける。子供はゆっくり、殊更ゆっくり頭をこくんと落とした。頷きだろう。
しゃがみこみ、視線を同じ高さに下げると、子供は遠慮がちな視線を俺に送ってくる。どうやら生前人見知りをしていたようだな。だいたい生前の性格や行動は死後にも反映される。この子供もそんな感じだろう。

「お前、名前は言えるか?」

『…………』

どうやら覚えていないようだ。ゆっくり首が横に振られた。名前を覚えていないケースはそう珍しいものではない。事故のショックであったり、よほど思い入れが薄かったりすると、霊体になった瞬間には記憶が抜けていることだってある(らしい)。

「どうしてここにいるんだ?」

『…………』

子供は戸惑ったような視線を俺によこし、ブランコの鎖をきゅっと握り締めた。その手の上から自分の手を重ねる。念を込めた俺の手なら、俺の意思でなら、触れるからな。
触れられたことに驚いたのだろう、子供が肩を震わせた。ブランコがかしゃんと音を立て、わずかに揺れる。

「お前が思い残したことがあるなら、手伝ってやるから。いつまでもこんなとこにいても、何も解決しないぞ?」

年の頃は十前後だろうか。幼い顔立ちが、俺を見て悲しそうに歪む。泣き出すかもしれない。一拍置いてふるふると震えた手が、ブランコの鎖から離れていった。俺も邪魔にならないように手を放すと、追いかけるように掴まれて、きゅうっと握り締められる。小さな小さな手だ。

『おか……あさん』

「おかあさん?」

『はぐれちゃ……た……』

「……はぐれちゃったのか」

子供を抱き上げて、背中をポンポンと叩いてやった。霊体だから重みはほとんど感じない。だが確かに掌に当たる感覚が、奇妙でどこか温かくて、だから俺はきっとこういう仕事をやってるんだろうな、と今更再認識する。
いや別に幽霊に触りたいからやってるんじゃないけど。俺みたいな人間でも、何かを救えている、っていう事実が嬉しいんだろう。自分自身のことなのにあんましわかんないな。まあいいか。

「お母さんと、どこら辺で別れたんだ?」

『こ……えんの、ちかく……』

「公園の近くな」

子供を抱きかかえたまま、公園の出口へと向かう。荷物をついでに肩に引っ掛けて、公園から出た。そう言えばずっと気になっていた。この公園の近くの交差点に、花が手向けてあったんだ。随分前に手向けられたものなのだろう、綺麗な花は枯れ、ぽつんと置かれたお菓子の袋がカサカサと音を立てて道路に突っ込んでいくのを、ここに来るときに見た。

「ここか?」

『うん……』

子供は呟き、俺の体の上で動く。下ろして欲しいということなのだろう。下ろしてやると、子供はゆっくりとその手向けられた花に近づき、手を伸ばした。すうっと抜けていく子供の手は、当然のことながら透けていて、俺の心臓をちくりと突き刺す。

「……自分がどうなってるかは、わかってるか?」

『…しんで、るん、でしょ?』

振り返った子供の目には涙がいっぱいに湛えられていて、俺は苦しい気持ちになりながら頷いた。そうだ、お前は死んでるんだよ。こんな小さな子供だというのに。もう自覚しているということは、自分が死んでいるという事実をまざまざと見せ付けられたのだろう。お母さんと別れた。文字通り、別れたのだ。

「お母さんに会いたくて、ずっとここに残ってたのか?」

頷く。

「じゃあ、お母さんに会えたら成仏できるか?」

『…………』

頷かない。
なかなか正直な子供だ、と思いつつ、子供の傍にしゃがみこんだ。数秒置かずに胸に飛び込んできた子供を抱きとめる。この年だ、そりゃ成仏できるかと聞かれて素直に頷ける奴なんかおるまい。
どうすっかなあ、と考えていると、子供は俺の首に腕を回して、ひとりは寂しいよ、と呟いた。

……よくない兆候だ。一人は寂しい、だから一緒に来てくれと、そう言って襲い掛かってきた幽霊の数々を思い出す。少し油断したかなと溜息を吐いた。この子供も同じパターンかもしれない。力は弱いが、思いが強ければ強いほど、それだけ厄介なものになってしまうこともある。
俺は一緒にはいけないと、そう言うべく、体を放そうとした。

「ッ?」

ぶるりと背筋が震える。強烈な寒気が背中を走っていったのだと気付いて、俺はその場に膝を落とした。ぺたんと体から力が抜けて、子供にもたれかかる形になる。おにいちゃん、と子供が耳元で呼びかけた。なんだこれ。なんだこれ。

『おにいちゃん……』

「……ど、した……」

『…こわい、……こわいよぅ……』

なにが。
体を放して、子供の顔を覗き見る。子供は瞳に涙をいっぱいに湛え、俺の背後を見つめていた。視線を辿る。俺の背中に感じる寒気。そこにいるのは、

「誰だ………」

振り返れば、曲がり角からそっと顔だけを出した女がこちらを見ていた。垂れる髪の毛を気にすることもなく、長い長い髪の毛の隙間から目だけをぎょろぎょろとこちらに向けて、髪の毛を数本食っちまっている口元はニタニタと笑っている。体は曲がり角の向こうに消えていて見えないが、その顔は異様なほどに印象に残った。
思わず泣きじゃくる子供を抱きしめて、女を見えないように胸に顔を押し付けてやった。女がニタニタと笑ったまま、すうっと曲がり角に消えていくのを視界に収める。追いかけるべきか、いや。あの女は、もう考える必要もないだろう、古泉の――、

「……古泉?」

はっとした。そう言えばあの曲がり角を曲がった方向は、古泉の家のほうじゃなかったか。俺に見せ付けていくということは、確実にあいつは古泉の家に向かっているということだ。追いかけるべき、だと思う。あいつの力は確実に大きくなっている。古泉に渡した札の効力はほとんど消えかかっていて、だからこそあいつは俺に、わざとらしく姿を見せつけたのだろう。お前の力など怖くないと、そう言われた気がした。
しかし今、この子を放っておくわけにはいかない。子供がしっかりと俺の腕を掴んでいた。いくら幽霊っつったってひとつの個体なんだ、意思があるし、思考だって持ってる。無碍にすることなどできない。
どうしたらいい。どうしたらいい。焦りばかりで、体が緊張で強張ってくる。どうしたらいいんだ―――。

「……後は任せて」

「……え?」

視線を上げると、見慣れた無表情のヒューマノイドインターフェースがこちらを見下ろしていた。いつの間に、ていうか今いったい何時だと、とか言いたいことは多々あるが、長門はまるで気にしないとでもいった体で俺を立たせる。
腕の中の子供が感知できているのはわかっているが、後は任せてと言われても、あいつは霊体に触れるわけじゃない。どうするつもりなんだと思っていると、長門はおもむろに手を伸ばし、俺の懐に手を突っ込んだ。

「ちょ、長門、おまっ」

ごそごそと何をしていたかと思えば、普段滅多に使わない霊体縛鎖の札を取り出してきた。まあ文字通り、霊の動きを封じるものだが。そんなもん使ってどうするんだと思っていると、周波で位置特定をしたのか、俺の腕にすがり付いていた子供に札をぺたしと貼り付けたではないか。途端に子供が怯えくさった顔で俺を見る。だ、大丈夫だたぶん、長門は除霊とかはできないから。

「危険性は低い。わたしが彼を導く」

「え……」

霊体縛鎖の札のおかげで、子供はそもそも身動きが取れない状態なんだが。と思っていたら、長門は例の高速の呪文を唱えたかと思うと、子供をひょいと抱え上げた。

「長門、触れるのか……?」

「周波が感知できる位置を特定、周囲の質量を変化させた。正しく言えば触れているのではなく、周囲の空気有体を持っているだけ」

「よ、よく解らんが、解った」

「だから、行って」

長門が俺を見上げる。澄んだ色の瞳に見つめられて、俺はこくりと頷いた。まだ今からなら間に合うはずだ。ありがとうな、と長門に言って、長門の腕の中で固まったままの子供の頭を撫でる。ついてってやれなくてごめんな、この姉ちゃんなら大丈夫だからと言うと、涙目の子供は頷いた。
後ろ髪引かれる思いで、曲がり角へと向かう。まだ夜は長い。公園の茂みが風に揺れ、小さな音を立てた。