煙の流れてくる気配がしてふと振り返った。
見慣れた瞳孔が数メートル先に立っている。その隣には、瞳孔男とは決して交わらない鮮やかな茶色。仕事帰りなのか、いつになくくたびれた様子でほつれた袖のボタンを弄繰り回している。
それを少しだけ見つめて、目を細めた。レンズの向こうにはただそれだけの景色。確か、近頃は犯罪が増えてろくにサボる時間も取れなくなってしまったと笑っていたっけ。そんなことを漠然と考えながら、ずれた眼鏡を掛けなおした。
「新八ィ」
「…あ、はい」
呼ばれて、早足で踵を返す。きっと仕事疲れでろくに話もできないだろう。できれば負担は増やしたくない。そう考え、声はかけなかった。
だけど、話がしたい。今晩電話してみよう、と考えつつ、自らの上司の下へと戻っていく。夕暮れで銀髪が赤く染まっていた。瞬間、それが茶色に見えて妙に笑ってしまった。
「ボタンがよォ、取れちまいやしたぜ、土方さん。アンタの首みたいに」
「取れてねえよオォォォォ!!!お前人の首なんだと思ってんのオォォ!!?ていうかそのボタンもまだ取れてねぇよ!帰って山崎に押し付けとけ!!!」
今日は珍しく土方さんとペアの見回りだった。
珍しく、というか俺がサボっていると問答無用でペアにさせられるのだが。こういうときに変に真面目な上司を持つと面倒だ。まあ、どこの仕事でもサボリなんてろくな対処はされないだろうから、クビにされないだけまだマシか。
俺から剣を取ったら骨しか残らねーんだろうなァ、そう考えながらプラプラと所在なさげに揺れるボタンを見つめる。浪人に腕を掴まれた瞬間、振り払ったらこうなった。相手の力が弱かったのか、ボタンの付け方が悪かったのか。どうせなら最後までしっかり布にしがみついておくか、敵の掌中にでも落ちればよかったのに。
まー山崎に押し付ければいっか、と思いながらボタンから視線を外す。
「…げ、万事屋」
「は?」
苦虫、または黒光りする虫を噛み潰したような声で土方さんがぽつりと呟く。その単語に問答無用で視線を上げる。目と鼻の先、と表現してもおかしくない、その程度の距離に、やさしく風に揺れる黒髪があった。
隣には銀髪の旦那。見たところ、仕事帰りかただの買出し。普段は味方の刀が汚れているかどうかで仕事をしてきたかを判断するのだが、あの銀髪の旦那だけはいつでも刀、もとい木刀が汚れているから判断ができない。
けれど、2人の間にあのチャイナがいないのだから恐らく買出しだろう。そう思って口を閉じた。
「気持ち悪ぃ程に一緒だな、あいつらは」
「羨ましいんですかィ?」
「ばっ……!!!馬鹿言ってんじゃねーよ!家族っぽさが羨ましいとか思ってねーよ!!」
「土方さん、少しは墓穴って言葉を覚えた方がいいですぜ」
眇めた瞳で見つめてやれば、土方さんは舌打ちをして曲がり角を曲がっていった。屯所に戻るには逆方向だが、恐らく頭を冷やすつもりだろう。こういうところが真面目すぎると思うのだが、まあ見てて面白いから別にどうでもいい。
つい、と視線を戻せば、目と鼻の先だったはずの距離が随分開いていた。もうこれから追いかけてまで話をしたいとは思わない。――思えない。なんだか旦那に掻っ攫われた気がして面白くない。
変わりに今晩電話してやろう、と思いつつ自らも踵を返す。ほつれたボタンを引き千切って、無理矢理ポケットに押し込んだ。
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