私は死にます、と小さく彼女は呟いた。
白い髪の毛に白い頬、その左頬に引っかいたように走る傷。痛々しいそれを間近で見ると、なんともいえない奇妙な気分になる。
それを見つめながら、俺はそう、とだけ呟いた。死ぬのか。俺の膝の上で彼女は何事も無いかのように規則正しく呼吸をしている。
彼女本来の白さや、唇のつやつやとした桃色も、何一つ褪せてはいないというのに。彼女は如何やら死ぬらしい。俺はそれをはっきりと頭の中で理解して、そして、死ぬんだな、と再び頭の中で呟いた。
上から覗き込んだ彼女の顔はあまりにも綺麗で、思わずその部位一つひとつを丁寧に分解して調べたくなるほど。俺は彼女の頬をそっと撫でた。死ぬの、と再び彼女は呟く。
屈託の無い笑顔で彼女は何度も呟く。私、死にます。死ぬの。俺はそれを聞きたくなかったのか、はたまた呆れたのか、そうか、とだけ言って唇に指先を押し付けた。

温度は何一つ変わらない。

俺の顔が見える?と問いかけると、彼女はええ、はっきり見えますとも。私の瞳の中にしっかりと映っているでしょう?そう言って微笑んだ。また、その笑顔があまりにも穏やかなものだから、俺は死ぬのだろうかと疑問に思ってしまう。
表情に出ていたのを読み取ったらしい彼女が、だって死ぬんだもの、仕方ないでしょう。そう呟いた。

しばらく彼女はそうして虚空を見続けていただろうか。ふと思い出したかのように俺を見上げて、白い指先を俺の頬に伸ばした。ひんやりとした体温だが、僅かにぬくもりが残っている。まだ生きている。まだ死なない。虚ろに開いた瞳から、かさついた雫が零れる。
どちらの瞳から零れたものだったのか――。

「…死んだら、埋めてください。私の頬を撫でたその右手で、穴を掘って。そして私の髪の毛をひと房切って、あなたの髪の毛と束ねてください。それを墓標に置いて、墓の傍で待っていてください。必ず逢いに来ますから」

俺は、いつ逢いに来るのかと訪ねた。彼女は少し目を細める。

「日が出るでしょう、それから日が沈むでしょう。出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。…赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行く。その中で――あなた、待っていられますか」

俺は黙って頷いた。彼女は心持悲しそうに瞳をゆがめて、俺の頬に手を伸ばした。細い爪先が皮膚をかすって、そうして力なく下ろされる。

「百年待って居てください」

彼女は余韻も残さず言い切った。

「百年、私の墓の傍で座って待って居てください。必ず逢いに来ますから」

俺はただ頷いて、待っているとだけ呟いた。彼女は嬉しそうに微笑んで、俺の髪の毛に触れる。次いで、唇に触れる。まるで滑り落ちるように心臓の上を掌が触れて、そしてぱたりと下ろされる。
次に銀灰色の瞳をのぞこうとした瞬間には、その瞼は閉じられていた。――もう死んでいた。

俺はそれから外へ出て、心持建物に近いその場所に右手で穴を掘った。何があっても左手は使わなかった。冷えた土の匂いと湿った空気の匂いが混ざり合って、俺の鼻をくすぐった。
穴が掘れてすぐ、俺は彼女を抱き上げて外へ連れ出した。彼女を抱いた胸はわずかに温かかった。
彼女を穴の中に横たえて、そして俺は小さな鋏で彼女の左頬の髪の毛をひと房切った。目立たない程度に丁寧に。次いで俺の右頬の髪の毛をひと房切り、彼女の髪の毛と混ぜて束ねた。
それを胸の中に仕舞い、今度は両手でそっと土を彼女の上に被せた。彼女の死体が月夜で照らされてきらきらと輝く。
土を完璧に被せた後、中心をくぼませ、風で飛ばされないようにそこへ髪の毛を置いた。俺はその直ぐ横の、苔の生えた場所へ座った。
これから百年ずっとこうして待つのだなと考えながら、彼女の埋まっている場所をじいっと眺めた。

日が東から出て、西へ下った。それを1つ、と数えながら、次を待った。また日が東から出て、西へ下る。2つ。数える。こういったように1つ2つと数えていくうちに、呆れるほどに日は出て下った。百年はまだこなかった。
気が滅入ってきたのか、しだいに彼女に騙されたのではないのかと思った。すると、髪の毛を避けるようにすうっと青白い茎が伸びてくる。俺の喉元あたりへ、するすると。
茎の先に垂れたつぼみが、やんわりと開いた。どこから落ちたのか、透明な雫がそのつぼみの上へと落ちる。ゆらゆら、水の重力に逆らってつぼみが揺れた。
次いで、ふんわりとつぼみが開いて花が咲く。青白く、真白で、花の左側には引っかいたような傷があった。
俺はその花びらに唇を寄せ、軽く口付ける。顔を上げたその瞬間、きらりと空の向こうに星が瞬いた。

百年が来ていたのだと、今ようやく気が付いた。










参考文献:夢十夜(夢一夜)