抱きしめても腕が余るのはいつものことだったけれど、こんなにすかすかとした感触ではなかった。細い腰に腕を絡ませ、ぐっと背中を引き寄せる。
 腹の間にできるこの空間を少しでも埋めたくて、折れそうな体を容赦なく抱きつぶした。
 僕の胸の下くらいに当たる彼女の胸、忙しなく動いている。皮膚と肉を隔てた向こう側にある心臓が、距離を置いても尚ドクドク脈を刻んでいることが、嬉しくて尊くて、口元が奇妙に引きつった。

「んっ……」

 反った背中にまわした腕、手で、彼女の骨や体のラインを辿る。前よりも肉は薄くなり、体は一回り小さくなってしまったように思えた。そのまま前に持ってきた手で胸に触れれば、やはりいくらか空間が余る。痩せた。痩せたのだ。ほんの少しのあいだ、触れていなかったその間に。小さくなってしまった。

「ば……、な、なに泣いてんだ、おまえ」

 体の下でぎょっとしたような声が聞こえ、見下ろせば彼女が僕を見上げていた。やや上目づかい気味のその瞳、白目の部分が若干赤味を帯びているのは、疲れか睡眠不足か興奮によるものか。怪訝そうに寄せられた眉間のしわも、少し前に比べると浅くなったように思う。顔の肉すら削げてしまったのかと思った瞬間、また鼻の奥がツンとした。

「ちょ、おま、ティッシュ」

 あたふたとつぶやく彼女が枕もとを探し、手のひらでシーツを二、三度たたく。ティッシュ箱は先ほどの衝撃でベッドの下に落ちてしまったので、もうベッドの上にはない。気付かない彼女は諦め、親指の腹で僕の目元を拭った。本当は皮膚で擦らないほうがいいんだが、と申し訳なさそうに呟く彼女の瞳だって、なんだかとろけてしまいそうなくらい濡れているのに。

「意味がわからんぞ。さっきの…おれ、なにか、泣くようなことしたか……?」

「いえ……、いえ」

 ちがうんです。
 あなたがしたんじゃない。僕がしたんだ。
 あなたを追い詰め、あなたを動かし、あなたを苦しめた。それで、あなたは、小さくなってしまった。ぼくが。

「僕が……」

 喉の奥から振り絞って、もうかさかさにかすれてしまった声を聞いて、さらに彼女がぎょっとする。こんなときでもぱちりと開いた瞳はいやらしく、かわいくて、美しかった。切ない。いろんな感情が綯い交ぜになって、どう表現すればいいのかわからない。
 このまま力いっぱい抱きしめたら、ぽきりと音を立てて折れてしまうかもしれない、そんなことを思って体を離すと、彼女がほんの少し、寂しそうな顔をする。何の言葉も言わないくせ、そうやって見上げられると、心臓に繋がる血管という血管を引き絞られるような感覚がして、結局彼女を抱きしめ直した。どこの脈かはわからないが、触れた部分がとくとくと動いているのが嬉しい。きもちいい。

「ごめんなさい。ごめんなさい……」

「こ……?いずみ?」

 近くで呼吸をするといいにおいがした。彼女の優しいにおいと温もりで、まるで子供返りをしたような気分になる。彼女は、なぜ僕を許してくれたんだろう。こんな、何もかもがだめな僕を。どうして、甘やかしてくれるんだろう。
 ごめんなさい。

「ごめ……」

「……ストップ。待て。その、な。何を謝ってるのかはわからんが、謝るの、やめろ。つぎ謝ったら、……もう、させん」

「えぇ……?」

 声に涙がにじんでいるせいか、出した声は果てしなく情けなかった。それを聞いた彼女がふ、と吹きだして、困ったような目をして笑う。今から始めるというのに、まるで今終わったかのような和やかな雰囲気に、言葉にできない気分になった。

「じ、じゃあ……」

 ず、と鼻をすすって心を落ち着かせ、ある程度気分の波が治まってきたのを心の中で確認すると、ぐっと彼女に近づいて頬にキスをする。じゃあってなんだじゃあって、と彼女がおかしそうにわらうので、つられて僕も微笑んだ。
 わざと音を立ててキスを繰り返すと、彼女が居心地悪そうに身をよじる。その反応が恥ずかしいからしていることだと覚えていた僕は、これといって作業を中断させることもなく続けた。
 やり方を忘れていたわけでもないけれど、やはり手つきは多少ぎこちなくなるわけで。緊張と興奮で指先が震えるのをじっと見下ろしながら、なんだかとても情けない気持ちになった。