副官に言われるままに机に向かうのも面倒で、その副官から延々と追いかけられるのも楽しくない。少しでも興味があることをしながら仕事をサボろうと資料室に入った市丸は、先日冬獅朗と話をした虚についての資料を探していた。
最もこんなところ探したところで何もでないのだろうけど。何千という隊員が探しても欠片も情報は集まらなかった。それが今、市丸が軽くさわり程度で探ったもので、見つけられるわけない。表向きは資料探しで、真相は本当に暇つぶしだったのだ。
ぱらり、と静かに薄いざら紙を捲る。市丸の長い指が流し読みのため異常に速く動く。僅か1分で捲る頁数は10を過ぎていた。11頁へ行く頃に、はたはたと静かな足音が市丸の耳に届く。
(イヅルか…?)
もうここがばれて感づかれてしまったのだろうか。と、資料を閉じて本棚の裏に身を隠す。こういうとき自分の長身が恨めしかった。
けれど皮膚に感じる霊圧は慣れた副官のものとはまた違った、慣れた霊圧。小首を傾げ自らも僅かな霊圧を流す。相手がここへ来るように。
すると、部屋の前を通り過ぎようとしていたその霊圧はぴたりと動きを止め、数秒立ち止まっていたかと思うと勢いよく戸を開けた。
「ギンッ!!!」
「…乱菊?」
勢いで吹いた風に数枚の資料がふわりと舞い上がる。それを鬱陶しいと言わんばかりに手で払い、乱菊は必死な形相を市丸に向けた。
そのあまりの蒼白した顔に驚き、動きが固まる。
「ど、」
「隊長ッ!」
「……へ」
どうしたん、と問いかける前に遮られて細まった目を瞬かせる。
乱菊は綺麗な金髪を乱したまま、直すこともせずに果ては涙を浮かべた。勿論そんな表情をされても困るのは市丸だ。慌てたままとりあえず幼馴染の気性を沈めようと口を開いた。
が、それもまた遮られる。
「隊長……、隊長、知らない!?」
「……?、日番谷はんのこと?」
彼女の隊長と言えばまさに先ほど考えていた彼のことではないのか。
小柄な背中を思い浮かべる。あの姿を見たのは先日が最後で、交わした言葉すら今ではあやふやだ。
首を傾げる市丸の腕に手をかけたまま、乱菊はその場に崩れ落ちる。「乱菊!」声を上げてその体を支えた市丸は、彼女の体が随分と体力を消耗していることに気づいて軽く目を見開いた。
「…乱菊、………鬼道かけられたん?」
「…」
「誰に。言い、乱菊」
市丸は普段温厚な笑顔を浮かべているが、その笑顔の裏はひどく冷徹だ。なにごとも無関心で自分が蚊帳の外にいれば誰がどうなっても構わない、寧ろそれを見るのが楽しみと言った根っからのサディスト。
けれどそれが幼馴染の乱菊のこととなれば多少は違った。自分から何かをしようというものの起因は主に乱菊だった。
幼馴染に鬼道をかけたという死神に対する小さく冷たい怒りが湧き上がる。再び誰に、と乱菊に問いかけても、彼女は青白い表情のままぶんぶんと首を横に振った。
「…乱菊」
「………」
「………………まさか、日番谷はん?」
怒りを抑えたトーンで聞いてみれば、彼女はそっと顔を上げる。
それが肯定だと勝手に思い込み、再び怒りを湧き上がらせて立ち上がった。十番隊の――彼自身の副官に、まして自分の幼馴染に鬼道をかけようなどと。
すると乱菊は立ち上がり、戸の前に身を翻した。「ギンッ、!」鋭い声を上げて今度は市丸が静められる。
「離し、乱菊。いくら日番谷はんかて、こないなことしてええわけとちゃうやろ?軽い説教でも、」
「今はそんな場合じゃないのよッ!」
甲高い声に眉を顰め、蒼白した顔を覗き込む。
化粧が落ちるほど取り乱した表情にもう一度眉を寄せてから、ようやく動きを止めた。
「日番谷はんが……、どうしたん」
そういえば彼女はこの部屋に入ってから何度も隊長、という言葉を口にしていた。
考えれば考えるほど良くわからない矛盾点のようなものが浮かび上がる。そもそも、日番谷冬獅朗という死神は松本乱菊という副官を心から信頼していて、仕事のサボリ癖やからかい癖には手を焼いているがそんなことで鬼道をかけるような死神ではない。
そうすると、乱菊にやむを得ず鬼道をかけたということになる。それはなぜか?その疑問を素直に口にすることにする。
「日番谷はんに、何かあったん?」
「ッ……」
途端に泣きそうな顔になった乱菊の頭を軽く撫でて、市丸はふと寒気を感じた。――なんだ、この、嫌な予感は。
「乱菊、」
肩を掴み、顔を覗き込んで問いかける。
乱菊はまるで頭痛がするように、実際していたのかもしれない。頭を軽く押さえて、ついに涙をこぼした。
「ひとりで…」
「?」
「………一人で、虚の視察に………!帰って、こないの!!」
『大変やなァ。怪我はせんといてよ?』
『じゃあお前が代われ』
『2人、男も下腹食らっとるのが気になるわ』
『………』
『あ、なんやの。ボクにそんな目向けんといてや。ボクは思ったまま疑問を口にしただけですぅー』
『………なあ、市丸』
『?』
『お前はこの虚を退治できると思うか』
『……』
『俺一人でも、退治できると思うか?』
『………さァ』
『なんだよ、それ』
『ボクにはわからんよ。…けど、そないに焦る必要無いんやないの』
『…………』
『ボクから見てもキミ、相当焦っとるよ。そない気ぃ張っとったら、すぐ疲れてまう』
『……けど、』
『今は、落ち着き。乱菊もキミの心配しとるんやから』
『………わかった』
―――助言を聞いていなかったのか、あのちびめ。
軽い暴言を心の中で吐いて、市丸はぎっと目を吊り上げた。
「いつ行ったん」
「き、のう…。すぐ戻る、って、な、なさ、情けないところ見せて、悪かった、って………」
嗚咽を上げる乱菊に一度うろたえ、軽い舌打ちをした。
自らの腰に斬魂刀があるかどうかを確認し、彼女の手を引く。
「……ギン、?」
「助けに行かな。心配なんやろ?」
正直虚の正体も何もわからない、ましてや冬獅朗が帰ってこない――苦戦しているという状況では迂闊に飛び込むのは危険だ。
けれど、乱菊が。乱菊が悲しむのなら、彼を助けよう。市丸には少なくとも、冬獅朗よりは強いというかすかな自信があった。それに乱菊もつれていけば多少は危険性も下がるだろう。
虚退治の許可申請を得るべく、一番隊に足を向けた。背後ですん、と乱菊が軽く鼻をすする。それから、小さく頷いた。
「うん………。」
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