世の中には説明しきれない、不可解なことが沢山ある。
それは身の回りに溢れていて、いちいち口にしていけばきりがない。
ただ、今回の奇異は、今まで冬獅朗が経験したことの足元にも及ばない現象だった。物理的にそう言った話を聞くことはあっても、何の覚えも無いこれにはどうすればいいのかわからない。
自分の意思でなければ、誰かの意思とういうしかない。けれど、それすら身に覚えが無い。

「……すまない、卯ノ花。もう一回………言ってくれるか」

ただ自分がその事実を受け入れたくないことから口にした言葉なのに、彼女が口を開いた瞬間怖くなって耳を塞いだ。
困惑する卯ノ花を一度ちらりと見て、、まだふらつく体を無理矢理動かしベッドから抜け出す。「日番谷隊長!」後ろで叫ぶ声をなんとか聞き、それでも立ち止まらず走り出した。



嘘だ。
嘘だ、そんなことありえるわけがない。
論理的にも物理的にもありえないことだ。

ばたばたと足音を廊下に響かせながら、どこか鏡がある場所を探す。廊下に誰もいないことが幸いだった。どうやら今日はたいていの隊員が救護に駆りだされているらしい。
適当な部屋に入り、悪いと呟きながら鏡台を探した。鮮やかな朝顔の刺繍が入った布で覆われた鏡台を見つけ、足を止める。
ゆっくり、手を伸ばした。指先が驚くほど冷えていて、布に触れたというのになんの感覚も無かった。いやに耳鳴りがするようでいやだった。そっと布を取り払う。ためらいも無く向けた視線の先には、以前となんら変わりない自分の姿。

「ッ、は…………」

額から温い汗が流れていることに気付いて、拭った。それから力なく畳の上にしゃがみこむ。かくかくと膝が笑っていた。この振動は何だというのだ。恐怖か、笑いか、喜びか。
なんにも変わってねえよ。そう、卯ノ花に笑顔で報告しに行こうかと思った。女になるなんて、そんなことがあるわけが無い。両手を広げて無事だということを見せ付けてやりたかった。
けれ、ど。

「…………ッ?」

胸に違和感を感じ、動きを止める。
これ以上鏡を見ていることが苦痛で、急いで布を多い被せた。それから、ゆっくり、ゆっくりと視線を下げる。
薄い胸が、なんだかいつもより、膨らんでいる…ような。

「まさか」

軽く言い切って、それから震える手を合わせに添えた。両手で勢い良く開く。鏡を見るときには感じなかった躊躇に狼狽する。
そして、瞳に入り込んだふくらみに大きく叫び声を上げようと口を開いた瞬間だった。

「…何してはるん?」

「――――――ッ!」

急いで小さな手で口を覆い、開いた合わせを重ねる。それから緩んだ帯を窮屈なほど締め、振り返った。
その口調で誰がいたかなどとわかっている。だからなるべく、いつもどおりの顔で。表情で。声音で。話しかけることにする。

「…市丸、か」

戸の前で長く大きな影を作っている三番隊隊長は、どうやら右腕に軽い怪我をしているようだった。
立ち上がり、何の混乱も無かったかのように横を通り過ぎる。それから「腕を怪我したのか」それだけ言ってゆったりとした足取りで廊下を歩き出す。
後ろから何も言わず市丸がついてくることについて何も言わなかったが言いたいことは溢れていた。思わず振り返りかける足をなんとか前へ進ませながら、何か用事があるのかとだけ後ろに声を投げかける。

「…別に。日番谷はん、良うなったんやね。体調」

「…その節では世話になった」

ぴたりと足を止めて軽く振り返る。こういうときには礼儀を重んじる冬獅朗に、市丸は軽く笑った。
どうやら嘲笑と取られたらしく、むっとした表情とかち合う。さらにそれがおかしくて笑ってしまい、延々と無意味な見合いを繰り返した。
しばらく経って、面倒になったのか冬獅朗が視線をそらす。それから、思い出したかのように背を向けた。

「日番谷はん?」

そっちは十番隊舎やないで。
そう、親切心から言ってやったにも関わらず、返って来たのは知ってる、と言う短い言葉。
可愛くないわァ、と背後で聞こえて冬獅朗はそれを鼻で笑い飛ばした。振り返り、じゃあな、と口にする冬獅朗のその表情がなんだかいつもより幼く女のように見えて、それに対しまた市丸は笑った。